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「タラノメ」 #2 梅雨が、梅雨らしかった頃

タラノメ photo / wakako kikuchi

 

いつからか梅雨になると、ふとよぎるようになった雨の日の生き物たちの描写。

わたしが幼かった頃は、都心でも雨が降るとカエルやミミズ、カタツムリなんかをあちこちで見かけたし、陽が射してくるころの水たまりにはアメンボが浮いていたことを思い出します。

そういえば、手足の油分で水面に浮いているアメンボは生活排水の界面活性剤のせいで溺れてしまうという話を聞いたことがあり、カエルのマークの(一応、環境に優しい)洗剤でお皿を洗いながら複雑な気持で、最近めっきり見かけなくなった彼らの行方を案ずるのでした。

「幼かった頃」からの二十数年、その間便利になり続けた生活と引き換えに失ったものは多いのかもしれません。

そしてあの頃の梅雨は、もうすこしだけ梅雨らしかったようにも想うのです。

春の行楽日和で浮いた気持ちが引き締しまる肌寒むさに、羽織ったカーディガンが湿気にまとわりつく感触。

少し開けた窓の網戸越に眺める、雨の日の匂い。

いよいよやってくる夏の気配に、ドカーン!と梅雨明けを知らせる雷が落ちて、建物をも震わせる爆音と心臓の鼓動が同時に身体を響かせた梅雨の記憶。

 

「当たり前」が「あたりまえ」でなくなったとき、想像以上に重みのある時の流れにハッとします。

事実、わたし自身も昨年30歳を迎え、身体のいたるところが20代の頃とは違うことに少なからずショックを受けたりしているのですが(笑)なにか心の根っこのような部分は、「梅雨がもうすこし梅雨らしかった頃」と、あまり変わっていない気がするのです。

目に映るものは光を放ち輝いていて、

手に触れるものすべてがみずみずしく、

なにか大きな存在に護られているようなあたたかさの中で、1日が永遠のように感じられた頃の「ちいさなわたし」。

 

肉体は歳を重ねても心は若還っていくような不思議な感覚の中、無意識のうちに心の奥へとしまいこんできた痛み、怒り、哀しみと再会する。

 

ふとした瞬間に古傷が疼くとき、違和感のフィルターを1枚ずつ剥がしていくと、あの頃の感覚と純粋な「すき」に、もっと素直になれるような気がします。

例えばわたしは、物心ついた頃から歌ったり、踊ったり、演じたりするのが好きで、5歳で始めたクラシックバレエは一応プロとなったものの、いろんな痛みに耐えきれず26歳で早々に引退(正直、挫折なのかもしれませんが…かっこつけて“引退”と言わせてください!)

もう舞台に立つことはないと想っていたにも関わらず、不思議なご縁でモデルを始め、またこうして表方としてお仕事をさせてもらっている……、だからこそ、今度こそ!なにがあっても目をそらさず、あの頃感じた「すき」を追求したいと想うのです。

なにかを追い求める以上、酸いも甘いも様々な感情と向き合い続けなければいけないかもしれません。

それでも、一つひとつを味わいきることの意味を知ったいま…

土砂降りの雨におもいっきり泣いて、

すべてを洗い流してくれそうなゲリラ豪雨に励まされながら、どこか東南アジアのような梅雨らしくない近頃の梅雨も、案外悪くないかもしれないと…一皮向けた梅雨明けを予感しています。