戦友のお弁当箱
この春、長女が中学校を卒業します。
わたしにとってはお弁当とともに走った3年間でした。
長女が通う中学校では、お弁当を持参するか、学校で給食を購入するか選ぶことができます。
「ママのお弁当がいい」という光栄な?お言葉をいただき、わたしの毎朝のお弁当作りマラソンの号砲が鳴ったのです。
基本的におかずは3つだけ。
作り置きや冷凍食品にも助けられつつ、大したものは入っていなくても、娘が学校で蓋を開けたときに恥ずかしい思いをしないよう、見た目にも気を配ったつもりです。
たくさん残して帰ってきたときは心配したり、怒ったり。
完食している日はうれしかったり。
お弁当箱から生まれる無言のやり取りがあったように思います。
毎日のお弁当作りと戦ったのは、私だけではなく、お弁当箱も一緒。
一つしかなく、替えの効かない存在だったお弁当箱は、気づくと蓋が割れていました。
あと数週間の辛抱なので、このまま使ってもらっています。
娘の中学校生活を振り返ると、お弁当のことばかり思い出してしまいます。
お弁当を作るのは、もしかしたら単純で簡単なこと。
しかしお弁当を作り続け、マラソンのゴールが見えてきた今、私のちょっとした自信になっています。
先日実家に帰ったときに、母が「これ持って帰る?」を渡してくれたものがありました。
私が幼稚園児の頃に使っていたアルミのお弁当箱でした。
母が作るお弁当のおかずはだいたいいつも同じで、でも私が大好きなものばかりが入っていたこと、ご飯はいつも俵形のおにぎりにしてくれていたこと、蓋に描かれたうさぎの絵がお気に入りだったことを、今でも鮮明に覚えています。
アルミのお弁当箱を使っていたのは、30年以上昔のことなのに、今まで大事にお弁当箱を保管していた母。
おそらく今の私と同じように、お弁当を作り続けたことに誇りを持っていたのだと思います。
もし、今あなたが誰かにお弁当を作ってもらっているとしたら、それは人生の中でとても幸せな時期です。
長い人生の中で、誰かにお弁当を作ってもらえる時期は、とても短いかもしれません。
そして、今誰かにお弁当を作っている人がいたら、「お疲れさま!お互いがんばりましたね~!」と肩を組みたい気分です。
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